全然大丈夫ではないです。
どうも、8ヶ月前に留学を終えている6代目フィリピンOne てんです。
1月27日から、海の底に沈んでいます。今はどんな慰めの言葉も、どんなポジティブな言葉も、聞く余裕がありません。何のことか分からない方も含めてどうか触れずに、何もなかったかのようにブログ読んでもらえらえたら一番嬉しいです。
今回はずっと「書かなくちゃ」と頭にあった、「留学したその後」について更新しようと思います。
留学を終えてから実に半年以上も経ってしまいましたが、やっと留学経験が生きた希望の仕事を始めることが出来ました。晴れて更新出来ることを嬉しく思っています。
何で食べていくかを決めるにあたり色々コロコロしましたので、このブログも2回に分けてコロコロ進んでいきます。今の仕事を始めるまで7stepsがありました。
~本日のセットリスト~
1.マレーシアの企業を受けてみる
2.ダイビング雑誌の編集者を受けてみる
3.Enginner Limitedの転職支援サービスを利用
4.決まりかけた就職先を断る
5.とりあえず期間限定のアルバイトで凌ぐ
6.希望職を見つけるも募集期間外のため、他部署に就職(次回)
7.運良く念願の仕事を始める(次回)
私は留学後の具体的なことは決めずに、留学に臨みました。
留学に行った時は、25才。学生ではなく社会人でしたが、One Projectの選考中にスキューバダイビングのガイドという仕事は辞めて、留学までの約半年間はアルバイトをしていました。その辺りの事は、One Project最終選考の原稿を載せた『ヲタクOne(7)』あたりを読んでいただけると。
仕事を辞めて社会人留学に行った、と言えると思います。
留学期間は2ヶ月でした。留学後のことは決めずに赴きましたが、ゆっくり考えている時間はあまりありません。
留学直前の職業は「フリーター」
留学中は「無職」
でしたが、終了後はもちろん「正社員になろう」としました。
1.マレーシアの企業を受けてみる
2ヶ月という英語学習期間では、ビジネスレベルにまで持って行くことは難しいと思いましたが、このまま英語の環境には居たい思いがあり、海外赴任の線で留学中から探し始めました。インターネット検索で探したり、語学学校のスタッフさんに尋ねてみたり。このままフィリピン生活でも良いとも思っていました。
転職サイトで見つけたのは、マレーシアの企業でした。業務内容は、コールセンタースタッフです。
海外勤務でありながらもそこまでの英語能力は必要としない、始めやすいよくある職種ですね。物価の安いマレーシアのコンドミニアムに住みながら、社内の日本人割合が1割にも満たなくて、格安で英語のレッスンを受けることが出来るという福利厚生に惹かれました。賃金が高いとは言えませんが、マレーシアの物価と私レベルの語学力で英語の環境に居られることを考えたら、とても良い条件でありました。
フィリピンの語学学校に通いながら、選考を始めていきました。留学中に留学後を決めた方が、圧倒的に心の余裕が違いますからね。
選考内容は、履歴書等の提出と電話面接(2回)でした。留学中はずっと英語の環境にいたので、志望動機の日本語が上手く作れないという現象も経験しました。
電話面接は、日本人の方が対応してくださり、途中で英語力を試す簡単なテストもありました。留学中なので、「英語力は問題ない」と言われちょっと嬉しかったです。電話を切ってすぐに、第一回電話面接合格の連絡が来ました。すぐに合格連絡が来るあたり、少し怪しみ始めました。
2回目の最終電話面接では、配属されるグループのボスとの面接でした。日本語が話せる現地の方だったと思います。そして私に断念させた、1つの質問をされました。
「ストレスは溜めやすい方ですか?」
なぜ面接でこれを聞かれるのか回答に困っていると、ボスが話しを続けてくださいました。
「この仕事、凄くストレスが溜まるんですよ~~。ネットショッピングを利用したお客様からのクレーム処理になりますので。だからストレスをうまく処理出来ないと難しいと思います。」
面接の段階でこれを言ってもらえて有難かったと思う。この時私自身では、ストレスはあまり感じないタイプだと思っていました。しかしダイビングが出来なくなった原因も、元はストレスによる精神的な物だと最近知りました。というかそもそもで、私はカスタマーセンターに応募した覚えはなかった時点で可笑しいな。
仕事内容以外は、完璧な条件が揃っていました。しかし、代償の方が大きいことが予測出来ました。面接の段階でここまで説明してもらえたことに感謝し、好条件には気を付けることを肝に誓いながら、お断りしました。
「1.マレーシアの企業を受けてみる」は、自分の健康を考えて断念です。
2.ダイビング雑誌の編集者を受けてみる
症状のこともあり、今はまだダイビングの現場に復帰することは出来ないと思いました。それでも今後に向けてダイビング業界に携わっていたい思いはあり、その路線で探して行くことにベクトルを変えました。英語は使わない環境になりますが。
そこで目を付けたのは、「ダイビング雑誌の編集業務」でした。
自分の今までの現場での経験が活き、これからの将来にも必ずプラスになるだろうと思いました。また、One Projectを通してブログ発信の場をいただくようになったことも、理由の一つと言えました。時間はかかりますが、結構楽しくブログ更新しています。(時間がかかる時点で仕事としては向いてないですね。)留学中からコンタクトを取り、帰国後に面接を受けさせていただきました。
でも、これは選択した私が凄いバカなんですけれども。面接を受けに行った雑誌、図書館で読んだことはあるけれど、買ったことないんですよね。その雑誌に思い入れはあまりなくて、ただダイビング業界に居たいという理由だけでした。
私自身が面接中にこのことに気が付いてしまって、面接担当の方と互いに違和感のまま終えました。結果はもちろん、不採用です。
そりゃそうだ。雑誌を作りたいわけではない者が、アシスタントから続けていかれるわけがありません。
「2.ダイビング雑誌の編集者を受けてみる」は、興味のある業界誌ではあるが業務に興味がないので、断念。
3.Enginnier Limitedの転職支援サービスを利用
留学の終わりの頃、One Projectを通してお世話になっているEnginnier Limitedから、下記の連絡が届きました。
「弊社では留学エージェントだけでなく、留学に行かれる方へのサポートをより広げていくために
新事業として人材事業Tegppleを立ち上げ、ちょうど私が責任者としてさせて頂いております。弊社から留学に行かれていた方の転職・就職サポートは無料という事だけでなく、
弊社からの転職成功のお祝い金として留学費10万円キャッシュバックもご案内させて頂いております。
まだ立ち上げて間もないということもありますが、今回もしかしたら○○様の転職活動に少しでもお力になれたらと思いまして、
ご紹介させて頂きました。流れといたしましては、留学内容と現在の英語力、希望年収、希望職種、転職先などしっかりとカウンセリングさせていただきまして、
サポートさせて頂きます。就職サポート内容だけでなく、英語学習のコツやビジネスで使う英語取得へのアドバイスも行っております。」
私は上記2件の面接を予定していましたが、留学をサポートしていただいたご縁もあり、お世話になることにしました。メールや電話、skypeなどを通して、たっくさんの私のわがままを聞いていただきました。ダイビング業界なんだからお前が調べろよってことも、全て要望を伝えてお任せしてしまいました。少しでも気に食わなければ「NO」を伝えましたが、超わがままな私にひるむことなく根気よく探してくださいました。
そしてようやく、話しを聞いてみようと1件のダイビングショップとの面接が決まりました。現場復帰はまだしたくなかったので、器材の販売などのショップ業務の線でいくことにしました。面接の日程も何もかも、全ての連絡をTegppleの高野さんが管理してくださり、私は該当の日程に面接会場に行くだけのプリンセス就活でした。
面接と言っても、業界が業界なだけに堅い状況にはならず、私と3人の面接官でダイビングの話しをしていたという感覚です。気が付いたら1時間以上話していて、「ま~数年ならやっていけるかな」と感じました。私は最終的には沖縄のダイビングショップに戻りたい願望なので、生涯をここで終える気は最初からありませんでして。
そしてついに、「就職希望」を伝えました。
「3.Enginner Limitedの転職支援サービスを利用」した結果、満足のいく企業を見つけることが出来た、と思っていました。
4.決まりかけた就職先を断る
もうほんと、これに限っては、何かの力とか縁が働いたとしか思えないような出来事でした。早い話が、上記の就職先を蹴りました。
ダイビングショップの面接を終えて数日後、ダイビングの専門学校時代の同級生が東京に居ると知り、久しぶりの再会をしました。沖縄でインストラクターをやっていたけれど、音楽の道に進みたくて東京に出て来た同級生です。話しをしていると、その同級生は「私が就職を決めたダイビングショップで、今現在アルバイトをしていること」が発覚しました。偶然の出来事に、お互い大爆笑です。
超カップルぽい写真だがそのようなことは断じて無い。
思いがけず、面接では分からなかった内部事情を聞くことが出来ました。詳しくは書きませんが、同級生からの話しと自分のこれからを考えると、「私は出来ない」に落ち着きました。
企業には既に就職希望の旨は伝えていましたが、正直にTegppleの高野さんに断念したい想いを伝えました。企業とのやりとりは全てお任せしていたため、詳しいやり取りを私は知りません。もしかしたら、今後のTegppleの運営に影響を与えてしまったのではないかとも考えました。あんなに必死に探して動いてくださったにも関わらず破談になってしまって、申し訳なさをもちろん感じています。同級生には勧められなかった職場が、私には合った可能性だってありました。
しかし、そこまでの逆境をこの職場で乗り越える自信がなかったことも確かです。私は結構自分の勘を大切にするタイプなのですが、この企業にはそこまでの引きを感じていなかったと言えます。
「4.決まりかけた就職先を断る」、後悔はありません。自分がそう思いたいだけかもしれませんが。
5.とりあえず期間限定のアルバイトで凌ぐ
さて、振出しに戻りました。そしてこの辺りから、正社員としてやっていく自信がなくなりました。とにかく今は、縛られるとか固定されることが嫌で嫌で。
そして非常に情けなくて、社会人大失格なんで小文字で書きますけれども。「ライブの予定を入れ過ぎて、働く時間が確保出来なくなった」という本末転倒に陥りました。「だって」と弁明したい気持ちもありますが、舐めきったクソであることに変わりはないので止めておきます。ひとこと言えることは、凄い楽しくて幸せな夏でした。
ライブを入れ過ぎて就職を先延ばしにしていた頃、本当に運良く、以前のアルバイト先から「期間限定でオープンするローラースケートリンクを手伝ってほしい」とお誘いを受けました。本当に本当に助かりました。同時期に以前インターンシップへ行っていた小笠原の船長からも「夏の期間手伝ってほしい」と連絡を頂きましたが、小笠原からではライブに行けないので断らさせていただきました。
留学後無職ではありましたが、仕事のお話しは自然と何件か頂けて。しかしこのまま前のアルバイト先に戻ることだけは避けたかったので、「期間限定」の案件で良い再スタートとなったと思います。
因みにその期間限定のアルバイトは、銀座のSONYで働くという、もう一生出来そうもない仕事でした。人生何が転がって来るか分からないですね。
「5.とりあえず期間限定のアルバイトで凌ぐ」、ライブに行きながらアルバイトで凌いで、今後をよく考える期間にしました。
ここまでを振り返ると、留学の経験が全く活かせていません。
そう。2ヶ月の留学経験からでは、TOEIC等も未経験の私が普通に英語を使って仕事をすることは出来ないと、重々分かりました。
・今後も英語を使う仕事がしたい
・ビジネスレベルには到底及ばない英語力で出来る
・自分の興味ある分野の仕事
なんて、全然巡り合うことが出来ませんでした。
それでも、最終的には英語を使ってダイビングの仕事がしたいこと、One Projectに選考された者として留学を活かさないわけにはいかないと、細々と探して行きました。
そうしてようやく出会えたのが、「国際ハンドキャリー」という仕事でした。
私はこの仕事の存在を知りませんでしたが、みなさんは聞いたことがありますか。まあここまでで結構長くなりましたので、また次回どんな業種なのかを更新しようと思いますお楽しみに。
今回書いた留学後のこと1~5をまとめると、「転職に短期留学の経験を活かしつつ、自分の希望職種に巡り合うことの難しさ」がよく分かりましたってことですかね。
留学を終えた留学生のその後って結構気になるかと思いますが、25才無職で社会人留学をした1人のオタクは、3ヶ月間このような経路を辿りましたという報告です。また次もすぐに更新します頑張ります。
時間があると悲しいことばかり考えてしまうので、忙しく過ごすことが出来てありがたいです。