【道産子おちほがゆく!】⑫マルタが面白すぎる!〜激動の歴史①〜

Hiおちほです!
もう12月なんて
一年あっという間ですねぇ
私も申し訳程度にある冬休み(笑)を
目前にしてテスト・レポートラッシュと
相変わらずバイトを頑張っています。
(なんと先月終わり~今月にかけて
27連勤だと昨日判明しました)

 

今回はですね、
とっても面白いマルタの歴史について
ストーリーにして簡単に紹介していきます!
とても長い歴史をもつので一回の記事に
書ききれないので何回かに分けて
書いていきますね!
歴史など知らない人でも
面白く読めると思いますし、
世界史を選択していた人は、
より面白く懐かしく
読むことができると思います!

(私は地理選択者でしたが、
世界史を少し勉強しようかなと思えるくらい
面白かったです)

紀元前5000年

進んだ文明と人々の移住
シチリア島の人々が
多くの進んだ文明をもち、マルタ島へ移住

マルタには
この時代の遺跡が多く残されており、
世界でも最古レベルの人類が居住した
と考えられている。

 

紀元前3500年ごろ 巨石文明の謎
マルタには巨大な石を使って建造物をつくる
「巨石文明」が発展した。

イギリスのストーンヘンジや
エジプトのピラミッドなどと同じ文明ですが、
マルタのものはそれらよりも
もっと早い時代に造られたと言われている。

マルタに現存する神殿群の中で、
世界的にも最も古い宗教施設であるといわれるのが、ジュガンティーヤ神殿


全長6m、重さ約20トンの石で
構築されており、
世界遺産にも登録されている。
しかし技術もなにもまだない時代に、
これらがどのようにして
作られたのか未だわかっていない。

 

紀元前2000年ごろ 消えた人々
マルタからは人々の生活の跡が突然消えた。
そして、200年から500年もの間、
マルタは無人島になったと考えらている。

いったいどうしてなのか?
<説1>
平和な生活を満喫した人々が島中を開墾した結果、土砂が海へと流れ出て不毛な土地へと変わってしまったため
<説2>
ほかの大陸からやってきた、当時としては最先端の青銅器の武器などを持った勢力に追い出されたとも言われています。

<説3>
マルタが消えた古代都市・アトランティスだったため。(神話などが大好きな私にとっては1番興味がある説)

アトランティス・・・
古代に繁栄した伝説の島国で、強くなり過ぎたために神の怒りを買い、海に沈められてしまったというもの。
伝説上の国に過ぎないとも、実在の国家だったとも、今でも論争が絶えない。
マルタ以外にも多くの島や地域がアトランティスだと言われていることもあり、マルタが果たしてアトランティスだったのかという真相は今も解明されないまま。

こうした無人島の期間を経て、青銅器を持った人々が島へとやってきたことをきっかけに争いが絶えない時代が続くことになる。

 

紀元前1000年 フェニキア人の上陸
シリアやレバノンなど東地中海エリアには、
貿易をメインに活動したフェニキア人という民族がいた。

彼らはマルタに上陸し、
島を「避難所」という意味の
「Melita」と名付けます。

(これが現在のマルタの語源!)
当時、時代の最先端を行くギリシャ文明を持つ人々とフェニキア人は、地中海を巡って争っていたためマルタにはギリシャの拠点もつくられた。
しかしギリシャ人が早々に島を去ったため、各地に必ずと言っていいほど存在するギリシャ文明の遺跡はマルタにはない。

 

紀元前5世紀
時代はギリシャからローマに移ったころ、
北アフリカのチュニジア付近は、
国家・カルタゴの
存在感が大きくなってきていた。
地中海へと進出したカルタゴによって、
マルタはその支配下に置かれることとなる。

(マルタはアフリカ近いですからね)
しかし、それをローマが許すことはなく、
カルタゴとローマは戦争を始めた。

(「ポエニ戦争」と言い、
180年の間に計3回行われた)
死闘の末に勝ったのはローマ。
そしてマルタはローマの支配下
入ることとなった。

 

最強国家ローマのもとでも我が道を行く
ローマの支配下となったマルタは、
自由と自治を認められた。

貿易で栄え、
島にはローマ風の
邸宅や農園、神殿などが整備された。

しかし面白いことに、
マルタは完全にローマ色に染まることはなかった!(笑)
元々フェニキア人の文化が
根強い地域だったため、
人々はフェニキア語を使い、
当時のメインだったラテン語やギリシャ語をほとんど使わずに通した。
このことは、
後にマルタに
キリスト教を広めるためやってきた
聖パウロを驚かせることになります。

 

60年 聖パウロの漂着

マルタの人々は、
最初は聖パウロを歓迎するどころか、
彼にかなりひどい扱いをした。

しかし聖パウロは、
島の首長の病を治したことで信頼を獲得し、
やがて人々にも認められていった。
結果としてこれが
キリスト教の普及につながったのだった。

聖パウロはマルタの人々を
「barbaroi(バルバロイ)」と呼んだ。
一般的には「野蛮人」という意味ですが、
ここでの意味は少し違う。
これは「ローマ化されていない社会の者」
「ローマ化されてもラテン語を話さない人々」
という意味であり、
マルタの人々が依然として
フェニキア語を話していることに
聖パウロが驚いたためだった。


このあと
強大な勢力を誇ったローマが
東西に分裂すると、
周辺の異民族が次々と侵攻してきた

東ローマ帝国の支配下に入ったマルタにも
ヨーロッパやアフリカから
多くの異民族が侵略の手を伸ばし、
マルタはこれに苦しめられることとなった。

 

600年ごろ イスラム勢力の侵略
アラビア半島では
ムハンマドがイスラム教を打ち立てた。

その広がりは早く、
北アフリカから広がり続け、
ついには地中海を渡って
マルタへとその手が及んだのです。

マルタはイスラム勢力に対抗しましたが
結局は屈し、
870年にイスラムの支配下
入ることになった。

しかしこの時のイスラム勢力は
かなり「ゆるかった」らしく、
マルタは信仰の自由が保障された。

加えて、
イスラム世界からは
綿花や柑橘類、灌漑農業など
新しい産物や技術が入ってきて、
マルタは異教徒の勢力下ながら
そこそこ発展を遂げていった。

(今でもアラビア語風の地名が残っている)
しかしイスラム勢力の支配もやがて終わる。

さてマルタはどうなっていくのか?
次回は今回以上に激動です
お楽しみに!

 

▶︎前の記事

 

参考:

https://www.japan-malta.com/his.html

https://gotrip.jp/2016/09/43213/

https://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9E%E3%83%AB%E3%82%BF

https://wondertrip.jp/history/90847.html

 

 

 

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